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村松大輔氏インタビュー[vol.1]

インタビュー:2024年11月


-本日はよろしくお願いします。

久しぶりの取材なので緊張していますがよろしくお願いします。

-引退されてからもう何年が経ちましたか?

2018シーズンが最後でしたけど2019年になってから引退しました。

-そうすると既に5年が経ちましたが引退してからはいかがですか?

やっと一般企業の社員として、板についてきたかなという感じですかね。

-現在は何をされているのですか?

静岡ガスに入社し、今は掛川で仕事をさせてもらっています。仕事内容はプロパンガスやオール電化のお客さまに対して都市ガスをお勧めする営業をやっています。

-一般家庭への営業活動ということですか?

はい。毎日一軒、一軒のお宅に伺って飛び込み営業をしています。

-外回りの営業は大変ではないですか?

そうですね。でもやりがいはありますし、おかげさまで社内でもトップクラスの営業成績を納めることができました。

-すごいですね。それは掛川だけでなく静岡ガスさんの全社での営業トップクラスということですか?

はい。

-選手時代の口下手の村松選手からは想像できませんが、どういった秘訣があるのでしょうか?

サッカー選手時代もそうでしたが、結果に拘りたいというのがありまして…。そうすると何事にもストイックに取り組むので、この営業活動というのはやはり活動量が一番重要ですから、どれだけ多くのお客さまへアプローチができるかということに尽きると思います。そこの数は誰にも負けないと自負しています。

-営業するにあたって気を付けていることはありますか?

そうですね。楽をしていては結果を出すことや成績を上げることはできないですし、自分としてはこれもサッカーと同じでハードワークすることが大事だと思っています。

-確かに現役時代は誰よりも動いてハードワークされていましたね。

まあ、ハードワークだけだったということもありましたが、それが今の仕事にも生きていると思っています。車は近場の駐車場などに停めて担当地区を歩いて回っていますから1日で10キロくらいは歩きますね。

-でも門前払いされる時もあると思ますがそういう場合は落ち込んだりしないのですか?

全然落ち込まないですね。お客さまによってはニーズがないことも十分理解していますから、そこは割り切ってやっています。

-逆に「エスパルスだった村松大輔さんでは?」というお客さんもいるのでは?

それもありますね。今は掛川に勤務していますけど以前は富士地区を担当させてもらっていたときなどは、飛び込んだお客さまが自分のことを知っていてくれてエスパルスのファンということもあってその場で即決していただけたこともありました。

都市ガスというのは敷地内の配管工事などはお客さま負担となるので本来であれば見積書を作成して金額的にも納得していただいて契約となります。そしてお客さまと距離を縮めることが重要になりますが、その時は一気に距離が縮まり、結果、都市ガスを選択いただくことができました。

-静岡ガスさんに入社して最初の配属先が富士だったのですか?

いえ、まずは関連のグループ会社へ出向してガスの保安検査員を清水で1年間くらい担当し、そこでは配管工事などをするために必要な「設備士」という国家資格を取得しました。それから異動して今の営業を3年くらいやらせてもらっています。

-営業に配属されて最初に契約を取れた時は嬉しかったですか?

そうですね。営業職はどこも同じだと思いますが計画がありますから最初に契約をいただいた時は嬉しかったですが、それだけで一喜一憂はしていられないという方が強かったですし、常に危機感を持ってやっていましたね。

-そうすると今は成績も良いということで危機感よりも楽しさが勝っていると?

うーん、どうですかね。危機感はいつもありますし、そこまで楽しいとは思いませんけど…。でもやれば結果がついて来るという意味ではやりがいは感じています。

-この5年間でいろいろな職種を経験されているようですが、村松さんとしては今の営業職が自分には向いているという感じなのですか?

正直、自分には営業という職種は合っていると思いますが…。ただ、静岡ガスは株式会社ですし、いろいろな部署がありますから、せっかくなのでその他の部署も経験してみたいというのはありますね。

-将来的には社長の座を狙っていると?

いや、そこは無理だと思いますから…。でも、頑張れるところまで挑戦はしたいとは思っています。そこは会社の評価ということになりますから、自分なりに頑張りたいと思います。

-ちなみに営業というのにはテリトリーが決まっていると思いますが掛川市以外の方が村松さんに仕事を依頼することもできるのですか?

「SHIZGASでんき」のお申込みについては地域関係なく僕を指名していただければご依頼を受けることができるので気軽にお問合せをいただければと思います。

-引退を決めてからすぐに一般企業へ就職しようと思っていたのですか?

すぐでした。1、2ヶ月で就職させてもらいました。

-サッカー関係の仕事は考えていなかったのですか?

引退したらサッカーに関わる仕事をしようとは昔からまったく思っていなくて、1度はサッカー界と違う社会に出ようというのはプロになってからすぐに思っていました。他の元選手の方がサッカー界の仕事やスクールのコーチなどをやられていますが、自分の価値観としてはこれまでずっとサッカー界にしかいなかったので1度は別の社会に出ることが必要だと。そうしなければ人間としての視野が狭くなってしまうのではないかという風に思っていたので…。これはあくまでも自分の場合はということですから他の元選手の方がやられていることがダメだということではありませんよ。

-そうするとここ最近はボールを蹴っていないと?

いや、引退してから運動らしいことは一切していないです。走ってもいないですね。

-スポーツジムとかにも行かれてないですか?

行ってないです。

-でも、現役時代と変わらないシャープな体形ですが?

現役時代は動くので栄養を取らなければいけないですからエネルギー源になる炭水化物とかを食べまくっていましたけど、ほとんど今は食べていないですね。

-SNSの発信では美味しそうな食事をしている写真が投稿をされていますが?

休日は外へ食べに行ったりしていますが、その分は平日でリカバーして体形を維持するように気をつけています。営業職はもちろんですけどどんな職種でも第一印象というか身だしなみというものはすごく大事だと思っていますからそこは日頃から意識していますね。

-現役時代からストイックでしたけど以前に比べて顔つきが変わったように感じますが?

そうですか。多分これは加齢と痩せたというのがあると思います。体重だと10キロくらい痩せましたからね。もう今はガリガリですよ。

-現役を終えてからはサッカーに関わっていないみたいですがサッカーが嫌いだったということではないですよね?

サッカーは…。「仕事」という感じでやっていました。特に興味があるわけではなかったですね。仕事ということで割り切ってやっていました。

-そのサッカーで藤枝東高校から社会人のHONDAへ入社したわけですがその経緯というものは?

藤枝東高校の当時の服部(康雄)監督から進められました。一応、大学からのお誘いもあったのですが、自分の中では大学で勉強しながらサッカーをする価値が分からなかったものですから。

-当時はプロのJリーグクラブからは誘われなかったのですか?

HONDAさんにお世話になるということが結構早くに決まっていましたが、あとからJ2の数クラブから話がありました。高校サッカー選手権の全国大会が冬にあり、その後U-19日本代表に選ばれて注目されてからはプロからオファーがあったのですが、夏にはHONDAさんへ行くことが決まっていましたし、これまでの高校とHONDAさんとの関係もあったりしたので僕はそのままHONDAさんへ行くことを決めました。

-もうだいぶ時間も経っていますのでぶっちゃけて、当時の村松さんとしては正直プロに行きたかったのではないですか?

子供の頃からの夢は「プロサッカー選手になること」でしたので、ずっとそれは思っていたのですが…。親が堅実なタイプで「1度社会人を経験して自分に実力があればプロになっても遅くはないのでは」という考えでしたのでそういうこともあって当時はHONDAさんにお世話になることにしました。

 

 

次回へ続く