-リーグ戦で印象に残っている試合はありますか?
リーグ戦ですか…。数少ない得点をしたジュビロ磐田戦(2012年10月6日@エコパスタジアム)ですかね。確か僕がボールを取ってから攻撃が始まったと思うのですが、その攻撃に関わったのが全員同級生だったのです。ハチ(八反田康平)、(吉田)豊、(大前)元紀、河井、そして僕の(19)89年組の同級生が全員からんだ得点が決勝点になって1-0で勝った試合なので最高でした。
-村松さんはこの得点も含めてJ1では7得点なのですが、得点に関してあまり拘りはなかったのですか?
いえ、途中からですけど自分には得点の嗅覚があるのではないかと思っていました。ですからそこから変な自信というか、ゴール前まで駆け上がって行くようになりましたね。それまではゴールに関しては特に意識することもなく自分の仕事外だと思っていましたから。でも、あのボランチのポジションから飛び出されると相手も困惑していましたし、僕が1枚余る感じとなってゴールが決まっていたと思います。まあ、2011年まで無得点でしたから相手も無警戒だったというのもあるとは思いますけどね。
-私が村松さんの出場した試合で印象にあるのはアウェーでの横浜F・マリノス戦(2013年9月21日)で中村俊輔選手にマンツーマンでマークについた試合ですが…。
あー、ニッパツ三ツ沢球技場で僕がやられて失点した試合ですね。中村選手は上手かったです。試合開始早々(前半4分)に僕がボールを奪おうと足を出すと右足でブロックされてそのまま転倒してしまったのですね。「やっぱり役者が一枚上」と感じました。
-それで中村選手にシュートを決められてしまったのですね?
その(中村)俊輔さんのシュートの軌道がめちゃくちゃスローに見えました。転んで倒れた状態で見ていましたけどゆっくりとゴールに吸い込まれる感じで「すげぇ、入っちゃったわ」と。
-中村選手に対するマンツーマンのマークは秘策だったのですよね?
そうですね。本当のマンツーマンでした。ゴトビ監督から「中村選手がトイレに行くときにも一緒についていけ」と冗談で言われましたけど、「それぐらいの気持ちでマークにつけ」と言われました。それなのに警戒していた俊輔さんに試合開始早々に決められての失点だったので、さすがに笑う余裕はなくて「マズいな」と思いました。
-あの頃のチームの雰囲気はどうだったのですか?
伸二さんやタカさん、大悟さんが率先してチームをまとめてくれていたので選手間のまとまりはあったと思いますし、あまり輪を乱す選手というのはいなかったですね。ただ、その3人のベテラン選手に逆らえる選手は今も昔もいないと思いますけど…。
-そういうベテラン選手はいましたが、村松さんはリーダーシップを発揮される場面はなかったのですか?
なかったですね。僕はそういうタイプではなくて我が道を行くタイプで、だからといって輪を乱すことは絶対にしなかったですね。
-2014年にはシーズンの途中で徳島ヴォルティスへ期限付き移籍となりましたが徳島はいかがでしたか?
徳島は僕を必要としてくれてそれなりの条件で移籍したのですが、当時の徳島はJ1に昇格した1年目で戦力的にも厳しい状態でした。正直、試合をやっていても勝てる気がしなかったというは覚えています。グラウンドの設備や練習環境、サポーターの熱量というものはやっぱりエスパルスの方が勝っていて、エスパルスの偉大さや地域に愛されているというはあらためて強く感じましたね。
-そしてその後は1度復帰して翌年にヴィッセル神戸へと期限付き移籍。そして2017年にはエスパルスに再び復帰しましたが、そのシーズンでエスパルスとの契約が満了となり翌年はギラヴァンツ北九州でのプレーを選択されました。エスパルスで引退することは考えなかったのですか?
当時は28歳くらいだったと思いますが、30歳まではオファーしてくれるクラブがあればそこでプレーしようという気持ちでしたからオファーがなくなるまでは引退は考えなかったです。ギラヴァンツもJ3としては頑張ってくれたオファーをいただいたので移籍することにしました。
-初めてのJ3でのプレーとなりましたが当時のギラヴァンツやJ3というカテゴリーはいかがでしたか?
まあ今はそこまで極端なカテゴリー差というものはないと思いますが、当時のJ3で感じたのは「やるサッカーの質が違う」ということでしたね。「勝つためのサッカー」という感じでした。エスパルスではある程度パスワークや展開というものに拘っていた部分があり、もちろん勝つことを目的にプレーしていたのですが内容やスタイルというものを突き詰めてやっていたと思います。しかしJ3のチームというのはまず勝つことだけに拘って「勝てれば何でも良い」という感じはありました。
-まだJ1に昇格したことがない北九州の町自体のサッカーに対する熱量というものはいかがでしたか?
小倉の駅の近くにスタジアムがあり、その周辺は盛り上がっているのですが、その他の郊外に行くとそこまで「サッカー」というのは浸透していない感じでしたね。
-静岡のように外食していて「村松選手ですよね」と声はかけられないですか?
なかったですね。だから静岡というかこの辺は異常なのですよ。未だに僕ですら声を掛けられますからね。引退して5年も経ちますし、エスパルスで活躍していた頃からは10年以上経っていますからね。
-現在はエスパルスの試合は観られているのですか?
結果は気にはしていますけどスタジアムに行ってもいないですし、試合を観る機会というものがあまりないですね。
-それはあえてエスパルスとは距離を置いている感じなのですか?
いえ、現役の頃から基本的にはサッカーは観てなかったですね。優先順位的にサッカー観戦というのはテレビ中継や配信を含めて僕の中では高くないので…。それならば本を読むとか出掛けるとかの方が優先されますね。
-そうするとここ近年のエスパルスの状態というものはあまりご存じではないですか?
ただ、知っている選手が多いので…。乾(貴士)くんとか豊とかもそうですし、ゴンちゃん(権田修一選手 2024年退団)もそうですし、だから気にはなりますよね。
-乾選手とはどういう関係でしょうか?
日本代表で一緒でした。
-ちなみに現在のエスパルスで知り合いの選手は?
乾くん、ゴンちゃん、豊、(北川)航也、(宮本)航汰…。あと(高橋)祐治も知っています。
-高橋選手とはどこで一緒にプレーしたのですか?
エスパルスを契約満了になってからサガン鳥栖の練習に参加したことがあってその時に祐治がいました。
-今のエスパルスについてどう思われていますか?
昨年についてはJ2優勝、J1昇格という目標は達成して良かったですね。全試合を観ているわけではないですが、昨年の結果は個の力がJ2で発揮された結果なのではないかと思っています。チームが1つにまとまっていたかというとそこはあまりなかったんじゃないかなと思います。年上の乾くんやゴンちゃんはチームをまとめるタイプではないですし、そこの一体感がもっとあればもっと楽に優勝も昇格も決められたと思いますね。J1でどれだけやれるのかは楽しみでもありますけど、J2時代のように連勝してホームゲームでも負け知らずみたいシーズンとはならないと思いますから、そういう時にやっぱりチームをまとめられる選手というのが必要になるかと。僕ら時代で言えば伸二さんやタカさんみたいな大人の選手が、精神的な柱としていないと難しいシーズンになってしまうのではないかなと思っています。でもそういう部分も乗り越えてくれると期待はしています。
-エスパルスのOBとして何か選手たちに伝えたいことはありますか?
サッカー的なアドバイスはできないですけど…。今、「大人の選手」が必要と言いましたけど、航也の年代がもう中堅になっているのでその選手たちが率先してチームをまとめていけば良いチームになれると思いますし、J1でも勝てるチームになれるのではないかと思っています。
-静岡ガスさんもエスパルスのパートナー(スポンサー)企業でしたよね?
はい、そうです。会社はもちろんですけど社内でもエスパルスを応援している社員が本当に多いのですよ。だから週末に試合があった月曜日に出社すると「あの選手のあのプレーがダメだった」とかダメ出しの声が聞こえてくるのですね。多分、自分も現役の時には言われていたのだろうなと。そういうのが分かって面白いです。社内でもそうですけど営業でお客さまのところに伺うと「タレントがあれだけいるのに降格してしまうの?」とかアウェーで勝てない試合が続いた時などは「なぜ勝てないの?」と聞いてくるお客さまもいたりして、「内情の詳しいことまでは分からないので」と誤魔化していますけれど…。元選手の立場からすると「勝てない時は勝てない」ということは分かっているのでなかなか回答に困りますね。
-村松さんにとって清水エスパルスというクラブは好きでしたか?
はい、もちろんです。移籍して良かったと思っています。地元でプレーできましたし、やっぱり将来は地元で働きたいと思っていたのでセカンドキャリア的なことも考えて静岡に戻れたことは大きかったです。
-移籍でいろいろな土地に行かれたと思いますがそれでも「静岡」という土地が一番好きなのですか?
そうですね。静岡が一番だと思います。町もコンパクトにまとまっていますし、ちょっと行けば自然豊かな場所もありますし、その混在しているところが好きです。あとエスパルス時代もそうでしたけど今でも声を掛けてくれるサポーターの方がいますので…。神戸や湘南、徳島とかだとそういうことはほぼなかったですね。スタジアムや練習場以外で声を掛けてくれることはないんですよ。やっぱりそれは清水エスパスだからこそだと思いますし、そこまで市民というかみんながエスパルスのことや選手のことを知っているというのはすごいことなのだなと思います。
-逆にプライベートな時間に声を掛けられることは嫌ではないのですか?
嫌な時もあります。でも、それも応援してくれているという実感を味わえる瞬間だと思うので…。ただ、あまりにもフランクに話しかけてくる方はちょっと苦手ですね。何十年来の知り合いのように接してきて「あれ、この人は友だちだった?」と。でもそれも静岡ならではですから面白いと思っています。エスパルスの選手ということであまり崇められても困りますし、それで勘違いして天狗になってしまう選手もいますからね。だから静岡では普通に声を掛けてくれる分には良いと思います。
-今後の村松さんの目標ややりたいことというのは?
そうですね。まずは現在静岡ガスで働かせていただいていますけど、サッカー選手時代と変わらずに仕事の結果というものに拘って、それで会社がどう評価をしてくれるかは分かりませんけど、やっぱりサラリーマンとしてはある程度上を目指したいなと思っています。一方で今は副業としてタレント業もやっているので、サッカーも絡めていろいろなお仕事をやらせてもらえればなと思います。
-何か起業しようということは考えてはいないのですか?
今は考えてはいないですね。将来的には分からないですが今は今の会社で仕事を極めることに全力で取り組みたいですし、まだまだ社会人としては勉強しなければいけないことは多くあると思っていますから…。あとはこれまではキャプテン気質ではなかったのでマネージメントなどはやったことがないのですが、一つのチームをまとめる仕事もやってみたいと思っています。一般企業であればいろいろな仕事、役職があるのでチャレンジしたいと思います。
-では最後にエスパルスサポーターへ向けてメッセージをお願いします。
現役時代は応援していただき、また厳しい言葉も多くいただきましたが、そのおかげで人間として成長できた部分はかなり多かったと思いますし、だからこそ今の自分があると思っています。今は一般のご家庭へ訪問してお客さまと関わる仕事をしていますので、機会があれば現役時代同様に今の村松大輔も応援していただければ幸いです。ガスや電気について何かありましたら静岡ガスの村松をご指名ください。そしてエスパルスも久しぶりのJ1の舞台に戻ってサポーターの皆さんも楽しみになされていると思いますが、長いシーズンには良い時も悪い時もあります。どういう状況になったとしても選手たちに寄り添って最後まで後押ししてほしいと思います。時には厳しい言葉も必要なのかもしれませんが、できるだけそこは抑えて応援してもらえれば選手たちも期待に応えてくれると思います。僕も久しぶりにスタジアムへ足を運んでみたいと思っていますのでその時はよろしくお願いします。
-今はサッカーとは離れた仕事をされていますがそこを極めたらまたサッカー界に関わる仕事もしていただければと思います。今回はありがとうございました。
ありがとうございます。これまで応援していただいた皆さんにいろいろな場面、形で恩返しもしたいと思っていますのでこれからもよろしくお願いいたします。
完
プロフィール
1989年生まれ
静岡県焼津市出身
第86回全国高校サッカー選手権大会で藤枝東高等学校の一員として準優勝に貢献し、大会優秀選手に選出。卒業後はHonda FCに入団し、2008年にはU-19日本代表に選出され、FIFA U-20ワールドカップのアジア最終予選で全試合に出場した。2009年にはJ2湘南ベルマーレへ移籍して主力として活躍しチームをJ1へ昇格させ、同年の12月にはアジアカップ最終予選・イエメン代表戦に向けたA代表に初招集された。2011年に清水エスパルスへ移籍し、本来のポジションであるセンターバックの他にボランチ、右サイドバックでも起用され、2012年7月にはロンドンオリンピックに出場するU-23日本代表に選出された。その後は2014年6月にJ1徳島ヴォルティスへ期限付き移籍し、2015年には清水に復帰するも2016年にJ1ヴィッセル神戸へと再び期限付き移籍となった。2017年に清水に復帰したがこのシーズンをもって清水を退団し、2018年はJ3ギラヴァンツ北九州へ移籍。1年間主力として活躍したが翌年の2019年2月に現役引退を発表した。その後は地元静岡に戻り静岡ガス株式会社へ就職し西部エリア開発の部署に所属。最前線の営業職としてお客さまとの信頼関係を築いている。なお現在は営業職のチームリーダーに任命され管理職として更に「未来へチャレンジ」している。