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大榎克己氏インタビュー[vol.3]

-監督業は予想通りに苦労が多かったと思いますが?

まあ、私の甘さというものもあったと思いますけど……でも、私が早稲田の監督を引き受けた時も早稲田は東京都リーグ、今の3部のチームを昇格させてインカレで準優勝、総理大臣杯で優勝できるまでになりましたし、その後にユースの監督も引き受けましたけど東海の2部から1部に上げてプレミアまで昇格させました。だから、自分としてはチームを強くする自信はありましたけど……

-自身が考えていたことと違ったことというのは?

時間がなかったというか、「即結果」という世界だったから……浸透するまでというか、シーズンをまたいで1年くらいでしたけど、トップチームというのは猶予がない世界だったので……ここ何年も監督がシーズン中に替わっているのもそういうことで、クラブが耐えられないというか。

-これだけ監督が替わり続けると「もう少し腹をくくってやらせるべきでは」という意見もありますが難しいですか?

それをやれるフロントであればいいけれど……強化部、社長、会長がしっかりと現状を把握して、それをサポーターやスポンサーにも伝えないといけないでしょうね。クラブがそのつもりでも勝てなければ周りも我慢できずにいろいろな不満が出て来てしまうだろうし、その時にクラブとして「今は苦しい時だけど我慢してほしい」と発信できればいいけれど、どうしてもそういう声にクラブも揺らいでしまうから。「こういう計画でやって、できなければ責任を取ります」というぐらい言わないとみんなは納得しないから……難しいのかもしれないですね。

-大榎監督としては2年目の途中解任で結局そのシーズンにJ2に降格してしまいましたけど、もし続けられるのであれば監督を続けたかったですか?

確かにキツかったけれど、私から現場を放棄する気はなかったですね。とにかく監督を引き受けた時点で腹をくくっていたから……ただ、強化に対してしっかりと要望を出せなかった甘さはあったと思っています。与えられた中でやった結果でしたね。まあ、あの当時はそれ(要望)もできない環境でしたから仕方なかったかなと。

-理想の監督、目標にしていた監督はいましたか?

(オズワルド)アルディレス監督ですかね。やっている選手としても楽しかったですから。まあ、今まで出会った監督で何かがすごいという監督はいなかったですけど、ただ、アルディレス監督はどういうサッカーをするのかというのはイメージしやすかったです。監督が求めるサッカースタイルがどういうものなのかはイメージできましたね。

-あの時は(スティーブ)ペリマンヘッドコーチでしたが、2人のサッカーはちょっと違っていたのかなとも思っていましたが?

合わなかったですね。ペリマンは「俺ならこんな練習はしない」といつも言っていましたから。それでもお互いに認め合っていました。アルディレスの練習は毎日が遊びみたいでしたけど、その中でワンタッチ、ツータッチでのボール回しをやったりして自然にダイレクトプレーが身についていました。ダイレクトプレーをするにはどこにポジションを取ってどういう受け方、出し方をしなければいけないかという……選手の全員がそういう意識の下でやっていたので、試合でもそれが体現出来ていたのだと思います。それをベースとした上で、ドリブラーの永井(秀樹)がいたりしたので面白いチームになっていたと思います。

-やはりそういう個性的な選手もいることで幅が広がると?

そうですね。みんながボール抱えて抱えてだとサッカー自体が遅くなってしまうと。「ポゼッションをやると遅くなる」という人もいますけど、そんなことはないのですよ。ボール保持率がありますけど、ただボールを保持していても意味はないです。いかにボールをゴールに運ぶかが求められているわけですからね。でも、保持することを大事にすることは基本で、意図がない長いボールを蹴って偶然に得点できるということではなくて、意図を持ってボールを保持して、そこには速く攻めることも必要なわけです。パスや判断、テンポだったりスピード感を持ってゴールに向かって行くことは必要だと思います。ミスをしないようにと前へ蹴ってそれが得点に繋がった1点も1点ですけど……1つのボールに対して何人もの選手が反応して絡んで、みんなで奏でてゴールを決めるというのが理想だと思っています。

-監督になった時に、ユースで一緒にやられていた平岡(宏章)ヘッドコーチも一緒にトップでという考えはなかったですか?

「何で連れて行ってくれないのですか」と平岡には言われましたよ。本当にいろいろなことを考え過ぎたと今更ながら思っています。コーチ陣も含めて自分の思うメンバーでというのはユースのことも考えてしまったし、そこは少しいろいろなことを考えて遠慮してしまっていましたね。まあ、やってみなければ分からなかったことだったので……そこはやはり自分の甘さだったと思います。

-ただ、その後には強化部として今度はチームを作る裏方へ回りましたが、そこでの難しさというものは何でしたか?

チームを強くするためには現場レベルだけでは強くはなれないと思っています。強化も含めたクラブが一体とならないと強くはならないと。最初は「経営戦略室」みたいな部署にいて、それから久米(一正 元GM)さんが来て「強化に入れ」と言われて手伝わせてもらって、久米さんが逝去されてからそこを任されたのですけど……選手を獲得することは難しかったですね。どんな選手でもいいわけではないので、そこはしっかりと筋が通っていないといけないですし、資金面の問題もありますから……資金があれば良い選手は連れて来られますけど、あの当時は強化費もそこまで多くなかったですから。

-ちなみにGMと強化部長の違いというのは?

いや、強化部長もその上に誰もいなければ同じですね。上にGMがいなければそれは強化部長がその職務は果たさなければならないですから。GMやスポーツダイレクターとか呼び名はいろいろとあります。ただ、強化部長はトップチームの強化に携わることが主な仕事ですけど、GMはクラブ全体のサッカーに関するすべての責任者となるので、下部組織についても気を配らなければいけないですね。あと強化部長だと強化費の中でいろいろと考えなければならないですけど、GMはより大枠で考えられるのも違いかもしれないです。

-監督とGMだと両方とも大変だったと思いますが、どちらが面白かったですか?

まあ、私も現場から離れて久しいので忘れてしまいましたけど……やっぱり、自分のやろうとするサッカーを表現する仕事という意味では、現場(監督)ですかね。

 

続く